「自称さそり座の男は情熱的で独占欲が強い」

ジェイムズ・ボンド

DATA
Height 183
Wight 76
眼は青
髪は黒
職種は国防省第一級国家公務員

身分は国防省勤務の海軍予備役中佐
右頬に縦3インチの疵
左手甲に皮膚移植手術の痕
右肩にバラクーダによる噛創疵あり
拳闘・柔道の心得あり
射撃、ナイフ投げを得意とする。
25口径ベレッタを常に左脇のホルスターに
左前腕にナイフを結び付ており
靴先に鋼鉄を仕込んでいる。
喫煙多量
悪癖は飲酒、ただし度を越さず
ほかに女
闘争には粘りがあり、苦痛に非常の耐久力あり。
『モーランド』にバルカンとトルコ葉をミックスした
特製の巻き煙草を注文し愛煙している。


1922(24?) アンドリュー・ボンド(スコットランド人)スイス、ドラクロワ家のモニクとの間に生まれる・・・正確な生年月日は不明。生誕日に諸説あるのは19歳に軍に所属するというボンドの死亡記事におけるMの記述(1922)と、タイガー田中がボンドはねずみ年(1924)だという科白等の食い違いによるものである。ちなみにケンブリッジ入学説の原因もタイガー田中の科白を取り違えた映画の設定からとか・・・。
なお、ジョン・ピアースがインタビューしたとされるジェイムズ・ボンドの生年月日は1920年11月11日(第一次世界大戦終戦記念日)
オフィシャルな記述としてはクリストファー・ウッドの「私を愛したいスパイ」(映画の小説の方)で蠍座だと言及している。余談としてダルトン以降のボンドについては、俳優の生まれた年の11月10日がボンドの誕生日として、IDやパスポートのこどうぐとして使われている。
1933 ボンド夫妻、ルージュ峰登山中に死亡、叔母のチャーミアン・ボンドに引き取られる。
1935 友人のメイドと間違いをおかしてイートン校を退学。フェデックス校へ
1935 フェデックス校ではボクシング学内チャンピオンに、イギリスのパブリック・スクールでは初の柔道部をつくる。
1940 フランスでクラブを経営するマルテ・ド・ブランと恋に落ちる、ドライブ中の事故で失う。頬の疵はこのときのもの。ケンブリッジ入学したけれど中退したということについて、ボンドは「マニペニーの気をひくための、ささやかな嘘」であると告白している。これはレイモンド・べンソンの生年月日不詳に対するフォローと見られるかなあ。あと年齢をごまかして軍に入ったことも・・・
おそらく、それ以前とも思えるがボンドの独白として、ここで童貞と財布を失ったと回顧している。
1941 父のヴィッカーズ社時代の同僚による援助で、国防省に昇格した政府機関のある出先機関(英国秘密情報部・ポーランド支局か?)に見習ではいる。P局では、後のヴェスパーの恋人になるポーランド人や、ルネ・マチスと出会う。フランス参謀本部二課との共同作戦で、海外秘密情報部一の賭博師として名をあげる。詳しくはこちら
1944 秘密の任務から海軍特務大尉に任じられ、イギリス海軍に転属。戦争終結時には特務中佐に。戦時中の任務については、いまだ極秘扱い。
1946 情報部に復帰。設立したばかりのCIAとの連携のため、ワシントンの大使館付になる。
1953 情報部では退役の時に与えられる聖ミケル聖ジョージ勲章(CMG)を在籍中に受勲
日本人とノルウェー人の暗殺を成功させたことによりOO課に異動。詳しくはこちら
1962 テレサ(トレーシー)・デ・ヴィチェンチオと結婚

彼のイメージとしては以下の証言がある・・・

自己分析 自分が渇仰しているのは行動的な人生、新しい問題と絶えざる格闘、戦場での困難な決断、祖国の為に貢献しているという確固たる目的意識である。
ヴェスパー・リンド 「何か冷たくて、無茶なところがある、ホーギー・カーマイケルのような人」
S課長 「仕事の事意外は何も考えない、仕事の鬼だ」
ミス・マニペニー 「あれはまさしく魅力的な海賊の顔」
ガーラ・ブラント 「秘密情報部の連中にありがちなうぬぼれやだ。口元に意地悪そうなところがあり、目が冷たい」
タチアナ・ロマーノヴァ 「賭け事と喧嘩が好きな小説の主人公レール・モントフのような人」
ドミノ・ヴィタリ 「暗いというより残酷な美貌」
アニヤ・アマソワ 「がさつで、うぬぼれやで皮肉屋でふざけた男」
フェリックス・レイター 「ホーギー・カーマイケル似の、勇猛果敢な女たらし」
パリス・マッケナ 「無慈悲で冷ややかで謎がある男」
ウェイ・リン 「タフな外見の奥底に感情をもっているの。人を殺すこともできれば、やさしくなることもできる」

トレーシー・ボンド

山賊のようなマルク・アンジェとイギリス人家庭教師の間に生まれた、野蛮な淑女。父親、諦めて曰く「すみかのない野生の鳥」父親譲りの無茶な性格のせいで、社交界ではいつも窮地に陥り、醜聞を引き起こしたりしている。その無茶なプレイ・ガールの裏には母親譲りの自虐性、深刻な自己嫌悪が渦巻き、精神的に疲弊していた。なんとか立ち直ろうとしている時、ジュリオ・デ・ヴィチェンチオ伯爵と出会い、結婚するが裏切られる。離婚して出産。赤ん坊と二人で暮らそうとするも、その赤ん坊も脊髄膜炎で失ってしまうことにより、生きることの意義を見失ってしまう。人生最後の日をすごそうとした夜、ボンドと出会ってしまう。ボンドという生きがいを得ることによって、今まで秘められていた両親の血が開花する。冒険好きで大胆で、知恵もあり、いつも生き生きとしてベッドの中でも外でも素晴らしい。そしてボンド愛しているし、ボンドも彼女を必要としていた。
1962年1月1日10時30分。ジェイムズ・ボンド夫人となるが、正午にはブロフェルドの凶弾よって血まみれの亡骸になる・・・

家庭

現在、家族はなし。ただしオーストラリアに叔父がいた。
家ではスコットランド系の家政婦メイが身の回りの世話をしている。看護婦の国家検定一級を持っていて、ボンドはメイの、英国歴代の王様とウィンストン・チャーチル首相以外には敬語を使わないところが、気に入っている。ただし「失礼しますよ、んな」のようにしぶしぶボンドのことを「旦那様」と呼ばなければならない時はそんなふうに切り抜けている。
か゜・・・61年以降になるとそんな習慣もやめて、絶えずボンドのことを「ミスター・ジェイムズ」と呼ぶ。しかし普段よりもスコットランドなまりを強くして。
厨房器具になると厳格極まりない保守主義で、自分の領地に冷蔵庫を置くことを絶対に許さなかった。少なくとも50年代から80年までは確実に。しかし食べたい時に美味い物をだせるという魅力も捨て難く。アイス・ボックスと名づけることで妥協したという。
機嫌のいいときは乳母が幼児を扱うようにボンドをあしらう。ボンドが何か危ない仕事に就いていることは感づいているが、それをお願いして聞き出すには、自分のプライドが許さない。この性格からおそらくトレーシーとは絶対に上手くいかないとボンドは察したのだろう。かつてティファニーをたたき出した!?豪傑メイも、今度は正式なボンドの妻とあっては、出て行くのは自分だと身を引くのが明らかで、ボンドはなんとか引きとめようと考えていた。

住まい

キングズ・ロードからちょっと引っ込んだすずかけの木の下の、19世紀に改装した建物の一階のアパートメントにボンドは済んでいる。トレーシーとの結婚の際その二階も借りて拡張しようと計画していた。81年6月ヘイズルミア郊外に別荘を買う。断続的に付き合っているブロンドの家から6マイルしか離れていないという理由で。

ボンドの健康診断

ボンドの健康診断
今はどうってことないが、現在の生活習慣を改めない限り幸福な状態を保つことはできないと、言われちゃっている。
日に60本以上の喫煙…肺癌なるよ。50、60になって後悔してもおそいよ。
30度から35度の酒を半ビン毎日空けている…肝臓がフォアグラになっちゃうよ
後頭部に頭痛…頚椎症ですな
160から90。高血圧じゃん
リューマチ性結合組織炎…おお!
尿酸過多要注意・・・つまり通風の一歩手前。

立派な成人病。要食餌療法ですな…

CAR

ボンドのプライヴェート・カー
車なんて物は、タイヤが四つあって人を運べさえすれば、いいんだという割には、好みにうるさい。
愛車は1930年型ベントレーのクーペ。情報部の航空隊主審の整備員に任してあり、増速装置の改造が施されている。しかしムーンレイカー事件でドラックスの追跡の際、大破してしまう。1953年4.5リッターのマークYを積み込んだヤツを購入する。色は軍艦方のグレイ。紺の革張りシートである。
その後も1959年から同社のベントレー・マークUコンチネンタルを愛車にする。コレはどっかの金持ちがぶつけたスクラップを買い取ってリアやドア、屋根を改造した。80年代になると実用性もかねて、スウェーデン製のサーブ900ターボに乗り換える。
サーブ900ターボはボンドが個人的にコミュニケーション・コントロール・システム社に依頼して改造を加え、防弾ガラス、秘密収納スペース、催涙ガス発射管・・・・などQ課でも探知不能な装備を施した。情報部でサーブはシルヴァー・ビーストと呼ばれ、その秘密を探ろうと、ブースロイド少佐は嗅ぎまわり、その助手のアン・ライリーは色仕掛けでボンドから聞き出そうとしている。
1984年、叔父の遺産が入ったことでベントレー・ミュルザンヌ・ターボーをブリディッシュ・レーシング・グリーンの色で、内装はマグノリアで購入し、CCS社の機密保持用長距離電話と秘密兵器用コンパートメントを設置して乗りまわしている。
情報部が提携社をBMW社等に切り替えたためこれまで情報部で使われていたアストンマーチンのうち何台かが最高額の入札者に売りにだされた。ボンドは5000ポンドの差でビル・タナーに競り勝ち、アストンマーチンBD5手に入れた。メンテナンスはメルヴィン・へックマンというメカニックマンに預けている。
任務のためQ課より支給された車
アストンマーチンBD3
越境用汎用仕様車かな?
正式名称QST/A117潜水可能車。
通称おねしょのネリーこと、ロータス・エスプリ
レイモンド・ベンソンの小説シリーズではこのジャガーXK8が支給されており、BMWの一連の車と交互に使用していくことになる。
小型偵察機(鳩くらいの大きさの小型飛行機)を搭載、総て音声でコントロールできる装置が、ダッシュボードに内蔵されており、ボンドはステアリングを握りながら、口であれこれ命じるだけで、何もかも機能させることができる。
さしずめ遠隔操作可能車というところか・・・BMW750
迎撃対抗手段可能車・・・BMW/Z8
走らない車はトーチカにも、なりゃしない・・・
アストンマーチン・バンキッシュ
武装としてZ8の欠点を補強したもの。
特徴としては通称バニッシュの名がついたとおり、光学迷彩を実装している。

GUN

彼の愛用の銃25口径八発装填ベレッタ“ミンクス“M1919。ただし彼がつけたニックネームは“パンサー“。握りの木の部分をはずしたスケルトングリップで、テープでぐるぐる巻きにしている。ムーンレカー事件後にMから贈られた物も含めて、十五年間も持ち歩いていたにも係わらず一度だけ、サイレンサーがホルスターに引っかかり言うことを聞かなかっただけで、査問委員会で没の判定をうけた。そして、小火器の世界最大の専門家であるブースロイド少佐のこの一言で引導を渡された。「婦人物ですね」
M1919はその名の通り1919年に登場した女性用ポケットピストル。
6.35o×16SR(.ACP25)という小口径弾を使用しているため全長115oというサイズでありながら装弾数8発+1と多い。1とはすでに銃本体に装弾されている弾を含んでいるという意味で、そのためマガジンを抜き取っても弾がまだ1発残っているという現象が起きる。良く映画などで主人公が危機の時に使われる手として知る人ぞ知るトリックが使える。初期型(1926年以前)のモノはマガジンセーフティーなし。
ワルサーPPK7.6ミリ三十二口径は情報部正式採用となった拳銃である。このときの候補は日本のM14、ロシアのトカレフ(なんと!!)ザウアーM38だった。バーンズ・マーチンのホルスターと込みでの採用だった。
全長148?o銃身長80?o使用弾薬7.62?o×17(.32ACP)装弾数7。このワルサーPPの遊底を短くしたのがこのPPKである。
Kは「クレミナーレ(犯罪)」からきており、PPKとは犯罪警察拳銃という意味である。

しかしこの銃は故障が多くアン女王を誘拐しようとしたテロリストに対し用をなさなかったのが原因で1974年正式拳銃から除外された。この銃についてはボンドも愛着があったらしく、PPKの銃身を短く切り詰めたP38Kをサイド・アームとしてつかっていたり、90年代以降は開き直ってPPKをサイド・アームとしてASP、後にはP99と併用している。
ワルサーの使用禁止に際して、ボンドはこっそりと使いながらも、早々に愛用の銃を見つけたかったがなかなかこれといったものがなかった。
ブースロイド少佐とのいつ果てるともない議論の末見つけたのがブローニング9ミリだった。古い型にもかかわらず正確な殺傷能力をもっているその信頼性ひかれたのだ。あと、非常時にそなえボンドはサーブのダッシュボードの中に個人所有のブラックホーク44マグナムをしまっている。
ボンドのブローニング使用には情報部内から非難の声が上がった。ボンドに好みの銃を選ぶ権利があるのはOO課が存在していた昔の時代のことだったからだ。結局ボンドにも情報部全員が持つことを義務付けられているヘックラー・&コッホVP70が支給されることになる。結局のところ、その性能のよさは確かなもので、満足のいくものだったが、この銃の正式採用期間は短く82年から84年の二年間だった。
84年に正式採用となったASP9ミリは同口径のスミス・アンド・ウェッソン・モデル39の戦闘改良型である。弾装には8発グレーザー・セーフティ・スラッグスという弾丸が装填されている。
この弾は前破砕性処理が施してあり、当ると中の数百の散弾が飛び散るため人体などは跡形もなくなるものである。
同時に同社による特殊警棒も標準装備に組された。
正式採用の銃とは別に持つサイド・アームについてはさほど規制は厳しくなくなってきた90年代。ボンドがPPKを使い始めたのもその現われだろう。
他のOOにもそれが言えており、これはOO6のブローニングBDM(ダブル・アクション・モード゙)使用弾…9ミリルガー、弾数15発。
ワルサーP99。次の世紀のためにデザインされたという9ミリ速射銃。弾装は16発装填でき、薬室にも一発入れられる。近代科学の粋を凝らした銃として1997年から正式採用になる。

kl