「3603号室-連合国秘密情報機関の中核-」モンゴメリー・ハイド著、赤羽龍夫 訳。

以下はフレミングが序文に寄せた文の全文です。
秘密情報活動の高度の世界では、その多くの事実はあらゆる点で、最も奇抜な空想小説やメロドラマの創造物と変わらない。もつれの中のもつれ、筋書とそれに対抗する筋書、計略と裏切り、ペテンとだまし、本当のスパイとニセのスパイに二重スパイ、金と兵器、爆弾、短刀そして銃殺隊が、数多くの織物の中に信じられないほど複雑に織り込まれているが、しかもそれが事実なのだ。秘密機関の長官と高級幹部はこうした地下の迷路をわが世界とし、その任務を冷たい沈黙の情熱で追及する。

アストン・マーティンDB3

DB3は純粋なレーシングカーで、10台だけワークス用に作られた車です。1952年から1954年にかけルマン24時間レ−ス、ミレミリアまたTTなどで、勝利を収め、1959年にはニュ−ブルリンクで一位、ルマンでも一位〜2位を占め、TTでも一位となり、その年のスポ−ツカ−部門でワ−ルド・チャンピオンシップを獲得しました。しかし、レース後に払い下げられたのもあり、それらは保安部品を付けたりクーペボディに改装したりして公道を走っていました。情報部で取り付けられたホーマーは、音の大きさで対象物が近いか遠いか「聞き取る」という原始的なものです。

R指定の「消されたライセンス」
カットされた箇所は、フェリックスが鮫に足を食われる場面、気圧で頭が吹っ飛ぶ場面、さらに、ラスト、サンチェスが火だるまになる場面が上手にカット(数秒)切られています。もっともカット版を見ても全く違和感ありませんが・・。上映時間も秒の世界でほとんど、変わりがありませんが・・・日本で初公開された時や初ビデオ(赤箱)&LD(TVサイズ)の版はカットされていないロング版です。その後のワイドLDおよび、現在販売されているDVDはカットされたバ−ジョンになります。

アニタ・エグバーグの口
「ロシアより愛をこめて」の看板の狙撃シーン。看板の絵は、『腰抜けアフリカ博士』という映画の絵で、アニタ・エクバーグの口です。この作品もハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリの製作なので看板の上の方にはこの二人の名前もしっかり見えております。

イァン・フレミング、銀幕デビュー
原作者イアン・フレミングもオリエント急行のシーンでゲスト出演しているとの事。列車をバックにした記念写真はありますね。

トルコ・支局長のテレンス・ヤング
イスタンブールでボンドを助けるキャラクターのケリム・ベイを演じたペドロ・アルメンダリス。ヘタしたらボンドを食ってしまいそうな現地の大物スパイで。妙なユーモアと貫禄でこの作品にムードを醸し出してくれました。病身ながら撮影に参加、本編の撮影隊はまず彼のシーンを率先して撮ったといいます。そしてついにはテレンス・ヤング監督自身が吹替出演を行ないました。本作が遺作となった(撮影終了後にピストル自殺。

「美しき獲物たち」のタイトルの変遷
From a Viuw to a kill は「殺意」という熟語。原作では、バラの茂みの中に敵のアジトがあることから「バラと拳銃」。その後、映画化の際には、「殺しの意図」→「殺しはバラの香り」→「美しきタ−ゲット」→「美しき獲物たち」となっていきます。

ヴェスパ・マティーニ
一度でいいから、のんでみたい・・・・ヴェスパ・マティーニ。
「カジノロワイヤル」原作に忠実なマティーニ。こゆう↓ヤツね
“A dry Martini,”Bond said.
“One,In a deep champagne goblet...Three measures of Gordon's,
one of Vodka,half a measure of Kina Lillet.Shake it well until it's very cold,
then add a large thin slice of lemon peel,Got it?”
どんなに飲みたくてもキナ・リレは日本にはないという罠。ま、素人はボンド・マティーニにも頼んで飲んでなさいってこった。
やだやだやだあ! ボンド・マティーニなんてやだ! ボンド・マティーニなんて、ベタベタなネーミング。声をだしてオーダーするのも恥ずかしい、もっと気の利いた名前なかったのかよ、と。
このヴェスパ・マティーニ、カクテルの名前が決まったらパテントを取ろうかと考えていたボンドが、名前をもらっていいかい、とヴェスパ・リンドにたずねる場面に由来しているものの、どうもヴェスパ・マティーニとボンド・マティーニは、「似て非なる別物」・・・らしい。
しかも、その肝が、キナ・リレを使ってるかどうかにあるようで、カジノ・ロワイヤルの原書初版1953年刊行時は一種類しかなかったものの、現在はLillet blanc と Lillet Rougeの紅白二種類存在している。で、赤は1962年に登場してるのでヴェスパに使われるキナ・リレはLillet blanc の方。
ただ、リレ社サイトでは、ヴェスパー・マティーニを「ドライ・リレ・カジノロワイヤル」とも呼称している。本家のプライドですかな。そこらへんのボンド・マティーニとはちゃうねんそ、みたいな。
さあ、これからは、ボンド・ファンを自称するバーテンダーがいたら、「ドライ・リレ・カジノロワイヤル」をシャンパングラスでうんと冷やしてと頼んでみよう!
・・・・追い出されたりして。

日本でヴェスパー・マティーニをつくろう!
ゴードン・ドライジン3 ウオッカ1 キナ・リレ・ベルモット1/2 
以上を氷みたいに冷たくなるまでシェイクし、シャンパングラスへ、さらに薄く大きく切ったレモンピールをいれる。以上がカジノロワイヤルにある、すみれ色の瞳とこヴェスパーのレシピです。ただしキナ・リレは日本では未発売なのですが・・・。


マニペニーの雑記より


一般的に知られるところのボンド・マティーニやってますよと言っているお店で頼んで出てくる、ボンド・マティーニと呼ばれるものは、

原作では「ドクター・ノオ」の
「ミディアム・ドライのウォッカ・マティーニに、レモン・ピールを一切れ添えたものを。ステアでなく、シェイクしてくれないか」

のセリフの通り作ったもので、

映画の「ドクター・ノオ」でテレンス・ヤングがショーン・コネリーにスミノフのウォッカを持たせたところから、フォーシーズン・ホテルが、スミノフのウォッカを使ったマティーニを「ジェイムズ・ボンド・マティーニ」という名でパテントを取ったという。

【使用グラス】カクテルグラス【技法】SHAKE【副材料】スタッフドオリーブ、レモンピール
【使用材料】ウオッカ3/4、ドライべルモット1/4

しかし、よくOO7の豆知識として語られるボンドが発明して、パテントを取ろうとしていたマティーニは、このマティーニの事を指しているのではなく、別のものなんだよというのが今回の話題。

「ドライマティーニはひとつだよ。ひとつ。深いシャンパン・グラスに入れたものだ。ゴードンのジンを3に、ウォッカを1、キナ・リレのベルモットを二分の一の割りだ。氷みたいに冷たくなるまでよくシェイクして、それからレモンの皮を薄く大きく切ったやつを入れる。わかったね」

通称ヴェスパ・マティーニ。現在はリレ社が「ドライ・リレ・カジノロワイヤル」という名でパテントを取ってます。

【使用グラス】カクテルグラス 【技法】SHAKE【副材料】レモンピール
【使用材料】ドライジン4/6、ウオッカ1/6、リレブラン1/6

この、ヴェスパ・マティーニ、原作「カジノロワイアル」において、

カクテルの名前が決まったらパテントを取ろうかと考えていたボンドが、名前をもらっていいかい、とヴェスパ・リンドにたずねる場面に由来しています。

ウォッカをつかう。このことはフレミングのウォッカ好きから来ているというのが定説らしいのですが、あれほど自分の好きなものには執拗に描写するフレミングの割には、ウォッカについては銘柄すら出てきません。

アメリカでウォッカが流行ってるから乗っかっただけじゃないのかなあ。だって、飲み方にしても氷の角が解けるまで、冷やしすぎて酒の味が消えるまで冷やして飲むのが好きという、酒好きがもっとも嫌う飲み方をしてた人ですし。

で、フェリックス・レイターがウォッカは芋じゃなくて穀物がいいとか言い始めようとすると、

「こまかいことをいってもしょうがない」

・・・どこのメーカーの酒で割ったっていいじゃないか、細かいことには気にするな・・・・とのたまってます。

そういうわけで、
原作「死ぬのは奴らだ」でアメリカに上陸したボンドに、レイターはヴェスパ・マティーニを振舞うのですが、もろレイターのシュミ全開な銘柄のジンとウォッカでもって作らせます。

あと、ヴェスパ・マティーニは原作ムーンレイカーにも登場しますが、頼んだ瞬間、Mに「ひでぇもん飲むんだな」と一刀両断。
以後、フレミングがこのマティーニに飽きたのか、ヴェスパは登場しなくなります。
どうも、このMの「ひでぇもののむんだな」のセリフなんですが、リレとリレット(ひどいもの)をひっかけた駄洒落らしいという説があるのですが、真意はどうなんでしょ。よくしりません。

というわけで新潟オフではそのヴェスパ・マティーニを作ってもらいました。




キナ・リレは日本に入ってないので、それに最も近いリレ・ブランで。
ヴェスパ(黄昏)の名のとおり。金色の液体の中のレモンの皮は、まるで夕焼けに沈む太陽のようでした。
レモンを落とさずにピールだけにすると、マティーニとは思えないくらい、酒をカンジさせないくちあたりです。

まあそんなわけで“ヴェスパー”のベルモットは・・・現在の「リレ・ブラン」の向きが強いようですが
やっぱり
アペリティフワインの「キナ・リレ」です。最近は国内からでも買えますので、
れっつ、ちゃれんぢ!

日本で本当のボンド・マティーニを飲むのは難しいですね。
だって、ウォッカ・マティーニの方のボンド・マティーニもレモンはピールするだけで中に落としてくれない。中に入ってるのはオリーブだけ。オリーブは入れちゃだめなの。入れていいのはレモンの皮だけ。

だってカクテルを飲み終わった後に、そのレモンの皮をかじるという

最期の儀式がまだ、残ってるというに。
そこまでやって、ボンド通という。

ね。フェリックス・レイター君。
ボンド・マティーニ道は険しいね。



映画でのダブル・オー要員
004は「リビング・デイライツ」の冒頭でジブラルタル演習に参加中、落下。
002はパラシュートで着地後すぐにSAS隊員にサバイバルゲームでしとめられる。
「黄金銃を持つ男」で002ビル・フェアバンクスはベイルートでスカラマンガ殺される。
他に009が「オクトパシー」でピエロに化けて死んでるし、003が「美しき獲物たち」のシベリア氷山で死亡してる。
006のアレックはヤヌスシンジケートのボスに

英国秘密情報部がMI6となってしまった原因
もともとは、海軍情報部が昇格した首相直属の架空の組織であった英国秘密情報部がいつしかMI6(陸軍情報部)と呼ばれるようになったのは、フレミング自身の度忘れが原因とも考えられます。「黄金の銃を持つ男」冒頭で、MをフレミングはSS(the Security Service (MI5))の責任者と書いており、さらに最後の方ではSIS(the Secret Intelligence Service (MI6))と書いてしまっています。
今日では映画「ドクター・ノオ」でバーナード・リーが情報部のことをMI7と呼称したことはダウトとされていますが、実際はMI6とは違う架空の組織としての意味でしょう。
ガードナーの初期三部作では、フレミングの初期設定を継いでいますが、4作目以降からは、小説によってMI6であったりSISであったりしています。ベンソン及びブロスナン主演の映画以降は全てMI6で統一されています。

エッグとコーヒーの世界3分半は基本としても・・・
ボンド流ゆで卵は、3分30秒といわれていますが。日本の火力では生卵のままです。

「黄金銃を持つ男(無修正版)」
劇場公開時「黄金銃を持つ男」はボカシ&修正された形でロードショウされましたので、発売中のDVD,ビデオは「黄金銃を持つ男(無修正版)」となります。今では何でもなく観てしまいますが当時は大変だったようです。

オキナワ・ロケ
「トゥモロー・ネバーダイ」ボンドがジャック・ウェイドとあう東シナ海基地は、沖縄の米軍基地の予定でしたが、中止になりました、しかしながら「私を愛したスパイ」で沖縄ロケが行われています。で、どの部分かというと…ストロンバーグの部屋、アトランティスの部屋の窓。窓の向こうに写ってる魚とかサンゴとかが沖縄での撮影になってます。

「オクトパシー」のタコ
「オクトパシー」の劇中に登場したタコは“ヒョウモンダコ”で、飼育が難しいのと、あの種類ではあの大きさのものはいないらしく作り物で撮影しました。

オメガ計画
原作「サンダーボール作戦」の原爆強奪の名前だけれども、ここでは映画版「女王陛下のOO7」でのオメガ・ウィルスを使った計画のことを指します。
2000年に英国を席巻した家畜の伝染病、同様の伝染病流行は1967年にもありました。映画版「女王陛下のOO7」でブロフェルドがオメガの計画をボンドに話すとき、過去にも伝染病を流行させたと言っていますが、あれは67年に起こった本当の伝染病を指しているそうです。欧州で輸出等含めた深刻なダメージをもたらしつつあるFoot & Mouth病(口蹄疫)のウイルスは人間には感染することはなく、仮に感染牛の乳肉を摂取しても人体には影響ありませんが、人間がキャリアとなって人体感染対象の家畜類を全滅させるおそれのあるウイルスです。そのため、訪欧中の移動に制限を受ける地域もあるようです。

「カジノ・ロワイヤル」TV版

「カジノ・ロワイヤル」は1954年にアメリカのテレビで1時間ドラマとして放映されました
アメリカの俳優バリー・ネルソンによって演じられたましたが、CIAのジミー・ボンドとしてです。
ヴェスパー・リンドもヴァレリー・マチスという名前リンダ・クリスチャンが演じてます。
フィリックス・ライターがイギリス情報部の友人クラレンス・ライターという設定になっていました。
低予算の白黒生番組ながら、ペーター・ローレのル・シッフル役が印象的で、確かに原作にはかなり忠実で拷問シーンもあるにはあるんですが、絨毯叩きは登場しません。
絨毯叩きはないものの。。。
ペンチで足の爪をはがそうとするのです。
おおまか原作とおりなんだけど。室内劇なんで、カーチェイスはなし。かわりにル・シッフルがボンドの部屋に乗り込んでくるという演出です。

カレー曜日
海上自衛隊は、毎週金曜日お昼はカレーなんです。
英国海軍がそういう風習なのをまねて、こーなったそうです。
ロイヤルネービーの方のカレーは、カレースープにパンをつけて食べるというものなんですけれど、じゃそれをご飯にかけるかで、やったら、どうもいただけなくて、片栗粉をカレーに混ぜて、少し固めてご飯にかけたというのが、日本式カレーライスの始まりといいます。
・・・・と、いうことは、ボンド君もフレミング君も、毎週金曜日はカレーだったわけですね。

キッシー鈴木の条件
「007は二度死ぬ」撮影前に提示された“キッシー鈴木”(キャッシー鈴木)役の条件は、『黄金色の生地にバラ色の匂う肌。髪は黒く、出っ歯でなく、腕も脚もスラリと長く胸と尻がキュッとしまって張り、下腹も出ていない、英語が話せて泳ぎも達者、それに加えて自然を忘れぬ野性味・・・』だそうです。

Qとブースロイドが同一人物となった瞬間
「私を愛したスパイ」本篇中のアニヤのセリフ、“Good morning, Major Boothroyd”

クリコのシャンパンにあう女
「髪の毛はまっ黒で、それを首筋のあたりでまっすぐ切りそろえている。その髪が顔の輪郭の背景になって、その下はくっきりした美しい顎の線。厚みのある顎で、頭と一緒に動かしても、いつももとの位置に引くことはせず、そのまま突き出していることもある。目は左右に大きくひらいていて、深みのあるブルー。ちょっと皮肉な冷ややかさを匂わせて、大胆にボンドを見かえす。」なんて女性と「キャビアとうんと小さなひれ肉を生焼きにしてベルネーゼソースと小いもを添えたの、それからちょっとフレンチドレッシングをかけたわになし」なんて食事をシャンパンと一緒にとっちゃうですから。

ケビン・マクローニを捜せ!
「サンダーボール作戦」、ボンドがカジノに入っていくシーンでソファに座って煙吐いてる口ひげ男がマクローリーです。

小西康陽とジェイムズボンド完璧版
小西康陽さんといえば「女王陛下のピチカートファイヴ」っつーアルバムもだしてたし、ご本人が監修しているメンズ・ビギのマガジン"Visage"では丸まる一冊ボンドの本をやってました。
以下、アルバムのインデックス。

1.オードリィ・ヘプバーンの休日
2.〜イントロダクション”ジェイムズ・ボンドとヴェトナム
3.新ベリッシマ
4.恋のテレビジョン・エイジ
5.リップ・サーヴィス
6.スパイ対スパイ
7.スウェーデン娘
8.自白剤
9.陽動作戦
10.トップ・シークレット[最高機密]
11.バナナの皮
12.トップ40
13.ホームシック・ブルース
14.衛星中継
15.遠い天国
16.女王陛下よ永遠なれ
17.夜をぶっとばせ

シングルに「ゴーゴー女王陛下」ってのがあります。

女性上位時代というアルバムには「トゥイギー対ジェイムズ・ボンド」、「Tokyo's Coolest Combo」では「ジェームズ・ボンドのテーマ」をカバーしてますね。

こちらが"Visage"のおまけソノシート!!のインデックス
1.それいけジェームズ
2.盗聴要員K
3.007;ZAGPU
4.テーマ・フロム・スタッカート・ファイヴ

で、これが"Visage"の目次

1.James Bond is back in action J.B.の時代
2.A view to a kill 殺しのテーマ
3.Operation Bondgirl ボンドガール作戦
4.James Bond:Narrative Combination ジェームズ・ボンド論-語りの配合-
5.The James Bond Suite ボンドルック!
6.The man called J.B. ジョン・バリー インタヴュー もうひとりのJ.B.
7.La nuit de Saigon サイゴンの夜
8.We Spy スパイ紳士淑女名鑑
9.You only misse twice 最初のつまづき
10.Where the spies are スパイのいた場所

ライブでは「ジェイムズ・ボンド・セイブ・ザ・クィーン・ライブ」ってのも開催。

で、ゴダールのファンでもあり、「女王陛下のピチカートファイヴ」の冒頭には「男性・女性」のなかの台詞「時代は変わった。ジェームス・ボンドとヴェトナムの時代が始まった」・・・銃声。がフィーチャリングされてます。

あくまでの原作と60年代のボンド映画の人で、90年代以降は無縁だと思います。

おまけ
女性上位時代“THIS YEAR'S GIRL”

1.女性上位時代 4
2.私のすべて
3.お早よう
4.サンキュー
5.大人になりましょう
6.女性上位時代 5
7.ベイビィ・ラヴ・チャイルド
8.トゥイギー・トゥイギー
9.トゥイギー対ジェイムズ・ボンド
10.神様がくれたもの
11.パーティー
12.しりとりをする恋人たち
13.マーブル・インデックス
14.きみになりたい
15.むずかしい人
16.Tokyo's Coolest Combo
17.クールの誕生
18.女性上位時代 6

以上、小西康陽とジェイムズボンド完璧版

コネリーの衣装
コネリーの衣装を担当したアンソニー・シンクレアシンクレアはオフサビルロウのテーラーで、当時としてはモダーンズ(モッズの語源)の部類に入るナポリ系の仕立てを収得していたカッターだったようです。そのシャープなラインは当時、かなり前衛的だったとも聞いています。テレンス・ヤンングとのつきあいは、陸軍のある将校の仕立てを彼が引き受けていたことがキッカケだそうです。ヤング自身も、アンソニーの顧客だったようです。13年くらい前にお店を閉めているそうです。シンクレア氏もお亡くなりになっています

ゴールデンアイのOO6
もともとは006はボンド自身を育て上げてくれた大先輩、という設定だったらしい。アンソニー・ホプキンスが断ったのでその話も無くなったとこの事。まだ、この方が必然性があったでしょう。

坂本龍馬の銃
高杉晋作が上海で買って、竜馬に上げた銃「S&Wモデル2アーミー」が定説です(モデル1他諸説アリ。ちなみに竜馬のピストを直接見たという現在もご存命の地元の老人の話によれば、これら全て”自分が見たのとは違う”と言っていたそうです)?

サレンダー・・・本来の主題歌
ディヴィッド・アーノルドドン・ブラック(歌詞担当)と共同でタイトルソングを書いていたのですが、MGMは別のアイディアを勧め、結果として、シェリル・クロウがタイトルソングを歌うことになったのである。彼女自身の作曲によるその歌はアーノルドのスコアとは全く無関係で)、『トゥモロー・ネバー・ダイ』というタイトルも歌詞には入っているが、もともとは"Until That Day)"というものでした。アーノルドが書いたタイトルソングはエンド・クレジットに追いやられ、"Surrender"と名称変更を余儀なくされたのでした。

サンダーボール作戦ノーカット版
シナリオ通りにつないだら4時間半にもなる大作で、サルツマンに命じられたヤング監督は最後までカットできず、結局マックローリが131分にまとめたせいか、大筋優先になってしまったようです。

サンダーボール作戦の映画化事情
自作のボンド映画を目論んだイアン・フレミングはケビン・マクローリー、ジャック・ウィティンガムとの共同で007映画の脚本を作った。が、これは立ち消え。後年それを合意無いままに『サンダーボール作戦』として小説化して発表したのがフレミングだった。当然訴訟の対象となり、妥協案としてフレミングはその映画化の権利はマクローリーに譲る事となった。このようなゴタゴタがあったためもともとこれをシリーズ第一作としたかったイオン・プロは断念して『ドクター・ノオ』を製作したのでした。さて、マクローリーも自らボンドにリチャード・バートンを起用して『サンダーボール作戦』の映画化を目論むも進まず。結局イオン・プロと両者は歩み寄り、製作者をマクローリーとしクレジットし、実際に関わったイオン側の御馴染みハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリはクレジット無し。よって「次回作○○でボンドは戻ってきます」クレジットも無し(シリーズ唯一)。また、同時にマクローリーはこのネタを以後10年間は映画化しない、という約束も取り交わされた。そのため1983年『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』までそれは作られる事は無かった......

サンダーボール作戦のおあそび
保養所のシーンでは別れの挨拶に"another time, another place" なんて言いますが、これはコネリー自身の以前の出演映画('58⇒日本未公開)の題名でもあるのです

サンダーボール作戦のフェリックス・レイター
フェッリクス・レイター役のリック・ヴァン・ナッターは実は当時アニタ・エクバーグのご主人。彼女が大いに推してこの大役を得たと言う。製作者サルツマン&ブロッコリとは『腰抜けアフリカ博士』(例の『ロシアより....』の口の看板の映画です)出演で面識があったからこれが可能だったのです。

サンチェスのイスマスでの家
アカプルコのdi Portanova EstateにあるBaron Enricoさんの家で、ロケは撮影の最後の方で行われました。この豪邸は、ブロッコリ氏の奥様のダナさんの長年の御知り合いの所有で、そのよしみで撮影の許可が下りました。撮影の際は禁煙、靴は底の柔らかいものを着用とのことという指示がありました。ただし実際のゲストルームなどは貴重品が多く、破損が怖いので、ボンドの部屋と続く廊下のシークエンスはスタジオ撮影です。ラストシーンでボンドがプールに飛び込むのは、この邸宅で実際に撮影していて思いついたそうです。確かこんな感じでした。

「死ぬのは奴らだ」の語源
「live and let dei」はもともとは聖書の「live and let live」から来ており、我も生き彼も生き・・・共存共栄という意味となります。するとこのタイトルは「我は生き、彼は死ね」ということになろうから、井上一夫氏は「死ぬのは奴らだ」にしたそうです。

主題歌の事情
「サンダーボール作戦」の主題歌は当初「ミスター・キス・キス・バン・バン」でシャーリー・.バッシー版とディオンヌ・ワーウィック版があります。しかし、米国人に対してタイトルがちょっとSEXYすぎることと、バッシーが怒ってもめたことで折角の名曲も没。
「OO7は二度死ぬ」の主題歌は、ジュリー・ロジャーのデモ版の話のほかにもサルツマンのアレサ・フランクリン案がありましたが、ジョン・バリーが断って結局ナンシー・シナトラに決まったそうです。
「愛はすべてを越えて」のシンガーを決める際にバリー自らサッチモを推薦し、レーゼンビーはブラッド・スウィート・アンド・ティアーズを提案しました。この頃のレーゼンビーはマネージャーに踊らされ相当わがままでしたが、後になってサッチモが正解であったとバリーを認めるコメントをしています。が、バリーはレーゼンビーをボンドとしては認めておらず、最後までコネリー/リグのイメージで曲を作ったけれども内容が重過ぎてメインタイトルにはしなかったとか。
「オクトパシー」ではブロッコリはローラ・ブラニガンを予定していたそうです。
バリーは「私を愛したスパイ」で契約上一時離れ、気合を入れ直したムーンレイカーの後、ビル・コンティを推薦し、再び「オクトパシー」で戻ってきました。
「トゥモロー・ネバー・ダイ」は当初デビット・アーノルド作曲のものが使われる予定で収録まで済んでいましたが、イオンとの共同制作者であるMGMが意義をとなえ、MGM側がつれてきたシェリル・クロウの楽曲になった。没になったアーノルドの主題歌はタイトルを「サレンダー」変え、エンディングに流れます。

ジュリア・ロバーツを口説こう!
ジュリア・ロバーツの「ベスト・フレンズ・ウェディング」の最後のセリフはロバーツと踊るタキシード姿のルパート・エベレットの口から発せられる「ボンド、ジェームズ・ボンド」でした。

スピルバーグの復讐
ソニーマガジン社の「ジョージ・ルーカス」(ジョン・バクスター著)に、スティーブン・スピルバーグが「未知との遭遇」の数年後ぐらいに「007を撮らせてくれ」とサルツマン&ブロッコリに打診したが、断られたと書いてあります。そのスピルバーグのもとへ、ルーカスが「レイダーズ」の話を持ってくることになります。その「レイダース」が「OO7」をおしのけて、20世紀を代表するアクション映画の地位を獲得してしまうことになります。

スペクターの仕業?
「ドクター・ノオ」で当時実際に盗難にあったゴヤの「ウェリントン侯爵」がクラブ・キイのダイニング・ルームに飾ってあります。

スペクターのスペル
「幽霊」という単語はアメリカではSPECTER、イギリスではSPECTREとなります。実際に使用されているは、
SUPECTRE(SpecialExecutiveCounterIntelligence,Terrorism,Revenge and Extortion) 対敵情報・テロ・復習・脅迫のための特務機関で、アメリカ映画の。『ネバー・セイ・ネバーアゲイン』でもこちらが使用されておりブローフェルドの台詞でも確認できます。

スコア・ブック
これまでに発売された007のスコア・ブックは3冊あります。1.Thunderball Song Album ('66) 2.Live and Let Die and Other James Bond Film Music ('73) 3.The Themes of 007: James Bond's Greatest Hits ('86)です。残念ながら3冊とも現在は絶版のよう。

Z3、大活躍!
いろいろ装備が付いているはずなのに、本編ではQラボでパラシュートだしてるだけのZ3ですが、プロモ活動では大活躍だったそうです。中でも白眉はドイツのドッキリカメラに登場した時。映画の宣伝マンをドッキリカメラで引っ掛けるというもので、ボンド映画のプロモーションで、その人がZ3をはこぶことになったのですが、検問で仕掛け人の役人に、この不振なボタンはなんだで、アラームは鳴るは、バックファイヤーは炸裂するわ。トランクを開けるとオイルを射出するは、ボンネットを開けようとすると、あの幻のスティンガーミサイルが、前方で駐車している車を破壊するは、挙句のはてには女性のボイスで「自爆装置が作動しました」

「ダイヤモンド密輸作戦」イアン・フレミング 著、井上一夫 訳。
マジまいったねこりゃあ。だまされました。(笑)
だってこのルポルタージュってフレミングが「ダイヤモンドは永遠に」(1956)を書いた後に何を思ったのか1957年にアフリカのタンジールで出会った元MI5の長官であるダイヤモンド密輸秘密捜査官から聞いた話を書いた他力本願ドキュメント本。
事実はこんなもの?(汗)


狸親父と狐の旦那
小説のシリーズだと、このマイルズ卿はボンドとマルク・アンジェとの間に出来た人脈を、情報部のフランス進出に使っていくんですね。「紳士たるもの心は海賊たれ」を地で行ってますね狸親父は・・・。でも、ボンドが一人娘トレーシーの結婚相手にふさわしいかどうかマルク・アンジェに身辺調査報告をしてあげた、ルネ・マチス! あんたッてヒトも・・・

008はすごい!
 「ゴールドフィンガー」でも「リビングデイライツ」でもMが007の代わりに派遣させようと言っておりまして、その時のボンドの反応をみると、よほどライバル視してるか仲が悪いみたいです。「ユア・アイズ・オンリー」でもボンドは上司に008を派遣させると脅されています。

「007は二度死ぬ」の評価と次回予告
日本での「二度死ぬ」の初出は日本版エラリー・クィーン・ミステリー・マガジンで、連載中の評価は、「ここまで日本のことを正確に書いた作家はいない」と、読売新聞をはじめ絶賛だったのです。そして、フレミングの次回作はアレン・ダレスをモデルにしたボンドの物語になるとダレス自身はフレミングとも親交があったり、小説の中でもMの友人としてでてるが・・・・実現したのは「黄金の銃を持つ男」でした。

「007は二度死ぬ」ロケ地
ロケ地は鹿児島、姫路、那智、神戸、東京。
潜水艦からボンドが上陸するところは秋目海岸。「welcome to tokyo」は、羽田近くで別撮り。
ボンドとアキ、漁夫にばけた忍者軍団が、島(という設定)に上陸するところは、秋目浦
秋目にはヘリポートも特設され全村貸し切り。
冒頭のネオンは、西銀座5番街。「ミカド」だけ赤坂撮りかも。"ミカド"はかなり有名なキャバレーで、有名人や映画の撮影にも結構使われてた所だとか・・・
アーケードは「すずらん通り」。入り口には「鹿乃子」、「ミタケ布団」、亀甲専門店「ツルヤ」、「トリスバー」、喫茶「ローザンヌ」など。
大里化学のビルはホテル・ニューオータニ。
ボンドがヘンダーソンと対面するシーンで使われた“八芳園”
リトル・ネリーの発進場所ですが、鹿児島市内の与次郎ヶ浜付近。
スペクターの基地があるカルデラ湖は新燃岳。
浜さんと抱き合うシーンは、霧島高原。
中野新橋でのロケは、新橋薬局の前。
鹿児島ロケの宿泊先は、城山観光ホテル。
鹿児島ロケ後は指宿(いぶすき)に宿を移している。
結婚式の撮影をした那智では、中之島ホテルに宿泊。
ボンドを左田の山に案内する、あの廊下みたいなところは、国技館の廊下
ボンドが歩いたのは、銀座のみゆき通り。呉服店の「東京ますいわ屋」の角を曲がり、有名なバー「ルパン」のある路地へと入っていき、「文春美容室」のドアをくぐると、そこは蔵前国技館の通路になる。残念ながら「東京ますいわ屋」のみゆき通り店も「文春美容室」もいまはありません。

ダリオくん、おめでd

「消された・・・」公開時、ベニチオ・デル・トロの紹介で、アルバート・ブロッコリ氏が「第二のジェームス・ディーンにしてみせる」と語っていました。ベニチオ・デル・トロ!アカデミー助演男優賞受賞おめでとう!スティーブン・ソダバーグ監督の『トラフィック』での受賞ですね。共演はマイケル・ダグラスとあのキャサリン・ゼダ=ジョーンズ。天国のブロッコリ氏も喜んでる事でしょう。

ダルトンの降板
「消されたライセンス」から「ゴールデンアイ」までの空白の六年間、丁度その間に一作分のブランクが空いたことになります。六年の空白理由には諸説ありますが、一番妥当なものとして、配給会社の倒産によって四散したビデオ販売等の利権を回収するために新作を作る余裕などなかった。その間にダルトンとの契約も切れたと。
・・・で、さらに「ゴールデンアイ」製作開始時に、ブロッコリーはダルトン起用を考えていましたが、MGMはダルトン以外の主演でないと製作はしないと、拒否し、理由として、スパイ映画じゃない、シリーズのラインとは外れた復讐劇だったこと、暴力描写で年齢制限を受けたことで、興業的に大失敗だったイメージを懸念してのことだったようです。

「諜報指揮官ヘミングウェイ」ダン・シモンズ著、小林宏明 訳。
1942年、FBIの作戦実行機関SIS所属のジョー・ルーカス特別捜査官は、フーヴァー長官の特命を帯びハバナへ飛んだ。当時、キューバ在住の小説家ヘミングウェイは地元の民間人を集め、ナチス工作員やUボートの動きを監視するクルック・ファクトリーという防諜組織を運営していた。ルーカスの任務はその組織の一員となりヘミングウェイの行動を監視する事だった・・・。
で、どこがボンドと関連するのかっつーと、ハバナ行きの航空機内でフレミングがヘミングウェイと情報交換すると。21ページだけの登場。ただそれだけ・・・。(汗)
おい、まとめて上下巻買ってしまった私の立場は・・・。(ため息)
ジョー・ルーカス特別捜査官。ずーっとジョージ・ルーカスが何故って思い込んでました。


つじつまあわせ
ガードナーは、自身の最終作「コールド」の最後でMが引退し女性に代わった事にしていますが、前年に「ゴールデンアイ」を書かされた割にはこれもつじつまがあいません。「コールド」は1990年の3月からと1994年の後半の「シーファイア」のすぐ後とに話が分割されていて、「ゴールデンアイ」がその後だからこれで良しと。F355GTSも94年デビューで、それほど時代考証もおかしくないし、と。ガードナーはCOLDの結末をしかたなくGEの前に押しこんだのかもしれません。

トヨタ200GT
『品川45-01』のオープンの2000GTは野崎さとる氏がデザインし、トヨペット・サービス センター綱島工場で制作され、工期は約15日。オリジナルのX字型フレームを補強。オープン化に伴い、リアトランク部分は完全にオリジナル設計。サイドウィンドはナシ。フロントウィンドは、市販車より多少低く、上端のカーブも異なり、アクリル製で着脱可。ボディーカラーは、ペガサス・ホワイト。
トヨタ200GT関連のロケは、作品では赤坂の大里化学→神戸でしたが、撮影は、ホテルニュー・オオタニ→世田谷の駒沢競技場近辺→富士スピードウェイの30度バンクの下(現在は未使用)と撮影していたようです。アキの代わりに、当時のトヨタ・ワークスドライバーだった大坪善男氏が女装してステアリングを握っていました。
富士スピードウェイの30度バンクのシーンは、電磁石を搭載した大型ヘリコプターの登場シーンで使われています。2000GTの後ろに見える、傾斜の付いた道が富士スピードウェイのコースです。この30バンクは、事故が続出したため現在は使われていません。

「トゥモロー・ネバーダイ」タイアップ
「トゥモロー・ネバーダイ」公開時、UIPはサンケイ・グループと全面的にタイアップして、「産経新聞」「サンケイスポーツ」「夕刊フジ」「サンケイリビング」の各2月25日号で特集記事を掲載しました。各紙とも最終面は映画の「Tomorrow」誌に似せた構成になっていて、真ん中へんに2〜3ページの特集記事を組んでいます。とくに「産経新聞」(夕刊)はBMWを含む新兵器をイラストで紹介したり、007の大ファンという大森一樹監督のコメントを掲載していました。

「トゥモロー・ネバー・ダイ」のテロリストの武器マーケット
ロケ地は当初、苗場だったが雪不足の為断念。

ドラックス邸、大移動
カリフォルニアにあるドラックス邸は‘フランスから石を運んできて作ったフランスの城’と説明してます。ということは、‘フランス’の‘ヴォー・ル・ヴィコント城’は、18世紀にフランスで築城され、20世紀にカリフォルニアに移築され、再び元のフランスに移築されたということになります?

トレーシーの香水
原作のトレーシー嬢はゲラン・オードをご使用です。ゲラン オードは1912年に発売されましたが(日本では未発売)現在は製造中止ということで残念ながら手に入りません。
映画のルール・ブルーはゲラン直営ブティックで手に入ります。ゲラン広報の方によると、どちらも女性らしい素晴らしい香りということですが、かなりオバ…もとい「大人」ッぽすぎる香りのようで、それが26歳のトレーシーにあうのか、子持ちの伯爵夫人トレーシーあうのかは・・・謎。

トレーシーに花束を
赤いバラか白いカーネーションかになりますが、女性サイドだと、イメージするのは結婚式での白いカーネーションの方で、男性サイドだと墓参りの赤いバラを連想するようですが、ボンドが墓参りに赤いバラを選んだのは、トレーシーと初めて逢った日の翌朝、トレーシーがボンドに残していった、一輪のバラの花からきています。

謎の格闘技「バリ」
ホームズが「最後の挨拶」で九死に一生を得た理由が日本の柔道に似ている、バリツなる格闘技の心得があったからとなってます。で、このバリツというのはバーリ・テュードのことで、この目をえぐる意外は、どんな攻撃も反則ではないという試合形式を得意としているブラジルの柔術をドイルはバリツとしたのだろうという説があります(夢枕獏説)。で、ボンドにも海軍時代にバリという格闘技をマスターしたとなってまして、井上一夫氏は英国の海軍式柔道と訳したそうです。で、このバリツとバリ、おそらく同一のものだろうフレミングがドイルから拝借したのだろうとおもわれます。

謎の格闘技「バリ」その真相!?
バリの語源であろうバリツ。馬術、武術の間違いではといわれていたが、早川文庫版「空き家の冒険」において、当時英国で紹介された柔術、正確にはバーディツと説明されています。このバーディツとは1899年バートン・ライトが日本に持ち込んだ護身術で、バートン流の柔術という意味でBAT(ON)+(JUJI)TSU=BARTITSUとなづけたもので、講道館柔道にボクシングと攻撃と防御両面でのキックと相手の指を打って攻撃不能にするステッキ術を取り込んだものです。

何度か出演
 モード・アダムスと、チャールズ・グレイ。
「OO7は二度死ぬ」「ダイヤモンドは永遠に」「私を愛したスパイ」に連続で出てきた人(私を愛したスパイでは米原潜の艦長だった)
「ダイヤモンドは永遠に」「黄金銃をもつ男」の殺し屋さん。
CIAのジャック・ウェイドことジョー・ドン・ベイカーは「リビングデイライツ」の悪役のウティカーだった。
2代目Mのロバート・ブラウン「私を愛したスパイで」イギリス海軍原潜基地でボンドと共演しております。
「私を愛したスパイ」以降はゴゴール将軍ことウォルター・ゴテルは「ロシアより愛をこめて」でスペクターの幹部。
「OO7は二度死ぬ」「ダイアモンドは永遠に」のエド・ビショップ(再雇用か!?)
「ゴールドフィンガー」「OO7は二度死ぬ」のバート・クォーク(東洋系科学者)
「ロシアより愛をこめて」(女相撲)「サンダーボール作戦」(美人諜報員)のマルチーヌ・ベズウィック。
ヒラリー・ブレイ卿も「私を愛したスパイ」に出ています。
「ロシアより愛をこめて」のブロフェルド(姿だけ)は「ドクター・ノオ」のデント教授ことアンソニー・ドーソン。
ケリム・ベイの愛人を演じていたナジャ・レジンは続く「ゴールドフィンガー」のプレシークエンスでボンドとキスをしている最中に瞳の中に殺し屋の姿が映ってしまうシーンで御馴染みのダンサー役
「ユア・アイズ・オンリー」でシトロエンとカーチェイスを繰り広げるゴンザレスの手下(運転手)の一人と、「リビングデイライツ」のプレ・タイトルでボンドの追走劇に巻き込まれ、オープンカフェにつっこんだ車を運転していた人。
そして「ユア・アイズ・オンリー」のマックス役のオウムは「リビングデイライツ」でも登場しています。

ニック・ナック
ハーヴ・ヴィレシェイズは1943年4月23日にパリで生まれ1993年9月4日に50歳で亡くなっています。国籍については、いくつかの資料ではフランス人と記載されています。

フレミングが日本滞在で飲んだ日本酒は?
旅行記の中でフレミングは、日本酒にふれて「暖めて飲む酒で、その味わいはりんご酒に似ている」と書いています。それと同時に文中に菊正宗と月桂冠が出てくるんですが、菊正宗はてんぷらに、月桂冠は刺身に合うとかいております。

日本人のボンド・ガール?
85年に公開された「美しき獲物たち」にモデルの取貝麻也子が和服姿で一瞬登場し、14年後、森川美穂で「ワールド・イズ・ノット・イナフ」のカジノで一瞬だけ登場しています。


ハヤカワ改訳版

ハヤカワ・ミステリ文庫の[改訳版]シリーズの特徴は、最近の傾向に沿って全体的に漢字を減らしたり、差別用語(土人など)や古い訳語を改めたり(増速装置→スーパーチャージャーなど)、もはや説明不要となった注釈(CIA=米国中央情報局など)を削除しています。今回は井上一夫氏は監修という形でかかわり、基本的には文章そのものはいじっておりません。なお、前出の注釈は、当時「エラリイ・クリーンズ・ミステリ・マガジン」の編集長だった都築道夫さんが付けたもので、井上さんにボンド・シリーズの翻訳を進めた人です。

PPKとPPK/S
1929年にワルサー社から「PP」と言う拳銃が発売され、その2年後に発売されたのがスライドを約2cm、グリップを約1cm切りつめた「PPK」で、ボンドの銃はコレです。米国にも大量に輸入され好評でしたが度重なる政治家暗殺を期に隠し持ちやすいポケット・ピストルの輸入規制が行われ、全高が少し規制に引っかかるPPKに急遽前述のPPのグリップ・フレームを取り付けたのが「PPK/S」です。ガタイの良い米国人にはこのPPK/S+380ACP(9mmショート弾)口径が好まれ、現在もベストセラーとなっていますが、既にオリジナルのPPK+32ACP(7・65mm)口径とは別物となってしまっています。尚現在PPKのモデルガンは販売されていません(エアガンは有)。

PPKのモデルガンを作ろう!

「モデルガン」、と限定したのはPPK/S→PPKに改造する場合、フレームとマガジンの切りつめ作業が有るため、マガジンに液ガスをチャージするガスガンの場合、シーリングの問題が必ず発生するため、お勧めできないからです。
逆にこの問題を解決すれば、後はモデルガンPPKを作るのと同じ作業となります。
 まず、ベースとなるマルシン製PPK/Sのモデルガン(唯一にしてベスト)を入手した後、最初にして最大の仕事は「PPK用のグリップを入手する」事です。理想は
(1)ポイント製グリップ
(2)実銃用 グリップ
(3)マルシン製グリップ
の順です。
1)イントのグリップは実銃用よりホンの僅か大きく、又、割と薄い(しかも硬い!)為、上下に7mm程切りつめた、PPK/Sのフレームに当たる所を少し削り取るだけで取り付けられ、実用上問題ない強度もあります。後はマガジンを一度分解した上でフィンガーレスト取付用のベロを残して7mm切取り、再び組み立てればあっと言う間にPPK完成です。実銃グリップの場合も取付作業は上記に準じます。ドイツからベークライト製の出来の良い茶色グリップ輸入できないかなあ。
2)最後にマルシン製グリップを使ってPPKを作る方法。現在普通に手に入るのはコレだけなのですが、実は一番面倒なのです。このグリップ、実物より一回り小振りで、当然これを大きなPPK/Sモデルガンのフレームに無理矢理取り付ける事になる為、ガイコツ並みにフレームを削り取らねばなりません。グリップを取り付けた後は強度確保の為、グリップと干渉しない部分に補強を入れなければならず、エライ苦労をする事になります。(尚、この削り取り作業について不安な方は、「ホビージャパン」84年四月号に参考となる図解が載っているので、古本屋等で入手出来たら参考にしてみて下さい)。
まぁ、これほど苦労してPPKを作っても、元々サイズの違うPPK/Sモデルガンのグリップスクリューの穴がPPKグリップのネジ部と2mmほどズレる為、グリップとスライドの間にちょっとみっともない隙間が出来ちゃうか、そこはツライチにしてネジ穴を偏芯させちゃうか、と言う外観上の問題も残るのです。
3)とうしろには、ンなことできっかぁ!お嘆きのあーた。最後の切り札をお教えしましょう。まずPPK/SのSを削り落とす。次、グリップを外して、自分が握りやすいように黒い布テープを巻きつけます。最後、余裕があったらトリガー・ガードをスパッと切り落とします。完成です。ボーゼンとする。お友達に、ふっと笑って一言「原作バージョンだよ・・・」一言をいかに涼しく言い放つのが、コツです。「テーピングはベレッタじゃなかったっけ」と言われる前に。

PPKを一度も使わなかったボンド
ブロスナンはP99と思われがちだけれど「ゴールデンアイ」では使用してます。PPKを一度も使わなかったんじゃないかというボンドは、ティモシー・ダルトンで、「リビングデイラツ」のラストで.8発撃ち終わったボンドにウィティカーが「8発 撃ち終わりだ」と言います。PPKは7発、PPK/Sは8発装填だからです。
「消されたライセンス」ではPPKの銃身を切り詰めたP38Kを使用することになります。しかし、とちらも銃のアップではPPKです。

フォークランド紛争
MI6における近年の大規模な作戦は、フォークランド紛争時の作戦で、海岸地域でのサボタージュ行動、上陸作戦における敵沿岸施設の偵察ということで、上陸作戦開始12日前にC130で英国を発ち、潜水艦にパラシュート降下、潜水艦でサウスジョージア島へ、上陸予定地点を守るファニングヘッド岬のアルゼンチン軍前哨陣地の襲撃と制圧しました。
当初ボンドは志願して一兵卒としてフォークランド上陸に参加していたということになっていましたが、後に、MI6の特殊任務に従事する工作員の教育をしたのが、ボンドだという設定に変更されています。

フランスで製作された「死ぬのは奴らだ」
1964年、フランスで「死ぬのは奴らだ」が映画化されました。そっちのボンド役の方がコネリーよりいいと・・・は井上一夫談。フランス版ボンド。『OPERATION O.N.U.』キャストはLando Buzzanca、France Anglade、Loris Gizzy、Claudie Lange。内容は、パロディです。

フレミングのコード・ネーム
フレミングのコードが「poo(プー)」だったと言います。“プー”はディズニーの『くまのプーさん』よりとったもので、フレミングはこのコードを好まず勝手に“ジェームズ・ボンド”を名乗っていたといいますが、この噂は九十年代に出てきた噂で、その発信元はクリストファー・クライトンの「ナチスを売った男 ジェームズ・ボンド作戦」の記述によります。

ブロフェルド(映画版)のモデル?
「ロシアより愛をこめて」以降のブロフェルドの猫と当然ありました。
チンチラはロシア産の猫というのは、定番ネタですが、白猫は平和の象徴とか。。。
チャーチル首相は大の猫好きで。議会や、第二次大戦下の重大な作戦会議の際も赤毛の愛猫を「膝の上」にのせて、決定を下していたようで。。。。
映画のブロフェルドのモデルってチャーチル?
恐るべし英国人!!! ってカンジです。
そのブロフェルドの猫の名前にはソロモンという説があり、賢者の名前の平和のシンボルの名を持つ、英国首相が、悪の帝王っていうのも・・・

ポスターの銃
ショーン・コネリーの「007危機一発」や「007ゴールドフィンガー」などでタキシード姿でポーズをとっている有名なスチールで使用されている銃身の長い銃は「ワルサー4−5LPモデル53」というエア・ガンです。

ボンドの誕生日
正確な生年月日は不明です。。生誕日に諸説あるのは19歳に軍に所属するというボンドの死亡記事におけるMの記述(1922)と、タイガー田中がボンドはねずみ年(1924)だという科白等の食い違いによるもので、ジョン・ピアースがインタビューしたとされるジェイムズ・ボンドの生年月日は1920年11月11日(第一次世界大戦終戦記念日)。
オフィシャルな記述としてはクリストファー・ウッドの「私を愛したいスパイ」(映画の小説の方)で蠍座だと言及している。余談としてダルトン以降のボンドについては、俳優の生まれた年の11月10日がボンドの誕生日として、IDやパスポートのこどうぐとして使われています。

ボンドの先祖
「女王陛下のOO7」でボンドが紋章院を訪ねた際に、ヒラリー卿がボンド家の家紋のイラストを示すシーンがありますが、そこでははっきりと「3つのペザント(金の玉)、家のモットーはザ・ワールド・イズ・ノット・イナフ」と言ってます。そこでボンドの祖先はボンド・ストリートの由来にもなったル・ボン卿だと推測するが、ボンド自身は
ソレを否定しています。ちなみに映画「ワールド・イズ・ノット・イナフ」ではボンドは自分の先祖はル・ボン卿だとも言ってます。ちなみに意味は、何もかも手に入れたのにまだ、何か足りないという意味合いの方が強い様です。

ボンドの年齢設定
フレミングのころは30代前半から半ば位のを受けて、ガードナー、ベンソンともに45歳位の設定に調整しています。

ボンドのプライベートカー
例えとして「ゴールデンアイ」でMに「前世紀の遺物」と揶揄されたボンドの姿を、クルマで体現してるとも言われています。BD5、ミュルサンヌ・ターボもターボRも(カタチは同じ)現代にあっては「恐竜」といっても差し支えないでしょう。ボンドは私用車としてチェルシーの車庫にDB5とベントレー・ターボRの2台を所有して、メカニックである友人のヘックマンに2匹の恐竜をいつでも最高の状態にしてもらっており、DB5は払い下げなのを考えると、たぶんベントレー・ターボもポンコツの可能性あります。公用車については青のXK8で、映画化の作品の支給車と交互に使っています。

ボンドのベレッタ
ミンクス説が有力です。
フレミングが書いたのはおしゃれな婦人向け、グリップのテーピング。25口径ベレッタとだけ。
で、氏が言うには15年連れ添ったということ、だと時期的にOK。パンサーだとPPKより後なので、NG。
で、M1919だとグリップ・セーフティつきだから平紐でテーピングできねーじゃん。と思ったタンだけど、
1926年以前の生産分はセーフティ・グリップがないとのコト。
でなによりも「これだ!」と思ったのは、装弾数8発+1と多いこと。1とはすでに銃本体に装弾されている弾を含んでいるという意味で、そのためマガジンを抜き取っても弾がまだ1発残っているという現象が起きる。そう! 良く映画で使われる、で主人公が危機の時の、大逆転の一発として使われる。
ガン音痴のフレミングならでは、ぜってーこのトリックいつか使えるぜ、絶対と思い続けての採用だったに違いない。。。。なーんてね。敵に捕まって、マガジンに抜き取られるんだけど、一発残ってるんで、それで大逆転という。。。。まあ、気になるのはボンドがその銃にパンサーというニックネームをつけてたことくらいで・・・


ボンドの墓碑銘
I shall not waste my days in trying to prolong them.I shall use my time.(人生の意味は生きることだ、存在することではない。僕はそれを引き伸ばすために自分の日々を無駄にしたくない。僕は時間を活用する。)
このジャック・ロンドンのフレーズは「OO7二度死ぬ」において、ボンドの死亡記事の章の「私は人生を無駄には過ごさない自分の時間を思う存分使うんだ」と訳されボンドの墓碑銘に捧げたMの言葉としてつかわれています。同様な感じで「ワールド・イズ・ノット・イナフ」でも、「生きていると実感できない人生なんて人生じゃない」とエレクトラが、同じ意味合いでレナードも発しています。
しかし「ジャック・ロンドンの信条」として知られるこの言葉は、彼の著書にはなく、その出所はアーヴィング・シェパード著の「Jack London's Tales of Adventure /ジャック・ロンドンのアドベンチャー」から来ており、ジャック・ロンドンの言葉して紹介されてます。
ちなみにアーヴィング・シェパードはロンドンの異父姉妹の息子で、ロンドンの遺著管理者です。

ボンドの死亡記事

   <ロンドン・タイムズ>
   聖マイケル聖ジョージ勲爵士、予備役海軍中佐ジェイムズ・ボンド
                                                        
M(マイルズ・メッサヴィ)記
すでにこれまでの新聞で知られたとおり、国防省上級職員で聖マイケル聖ジョージ勲爵士、予備役海軍中佐ジェイムズ・ボンドは、日本における公務中に失踪、不慮の死をとげたものと信じられている。筆者にとっても悲しいことだが、彼の生存の希望はあきらめなければならないといまここで報告しなければならない。したがって、彼がよく精励した部の長官として筆者に公務員としての彼ならびに彼が祖国に尽くした目ざましい奉仕について何か語るという責任があたえられたのである。

ジェイムズ・ボンドは、スコットランド人の父、グレンコーのアンドリュー・ボンドと、スイス人の母、カントン・ド・ヴォー出身のモニク・デラクロアの間に生まれた。父親はヴィッカーズ兵器会社の海外派遣員で、彼がフランス語とドイツ語にかけては一流であったことは、初等教育をすっかり海外で受けたおかげである。彼が11歳のとき、両親がシャモニの上のルージュ峠で登山事故で死亡、以来幼いジェイムズは、叔母のミス・チャーミアン・ボンドの保護下に、ケントのカンタバリーに近いペット・ボットムという風変わりな名前の小村で育った。

美しいダック・インのすぐそばのその山荘で、学問もありよくできた婦人らしいその叔母から、パブリックスクールに入学するための教育を受け、12歳かそこらでイートンに満足すべき成績で入学した。イートンには、彼の出生と同時に父が入学志望の手続きをとっておいたのだった。イートンでの生活は短くて、格別目立つようなこともなかったと言わなければならない。結局、わずか二学期で、ここに誌すのは辛いのだが、友人のメイドとまちがいをおかしたとかで、叔母のところへ退学勧告が行った。叔母の努力で、彼は父の母校のフェッテスに転学することができた。
この学校はいささかカルヴィン主義的な空気のある、学問的にも体育の面でも非常に厳しいところだ。しかし、生まれつき孤独になりがちな彼が、この学校では伝統的に有名な体育サークルで堅い友情などを育てている。17歳になってすぐ卒業したころまでに、彼はライト級の学校代表として2度も拳闘試合に出ているし、さらにイギリスのパブリック・スクールとしては最初の本格的な柔道部を創設している。

1941年になると、19歳になった彼は、父のヴィッカーズ社時代の同僚の援助もあって、後に国防省に昇格した政府機関のある出先機関にはいった。秘密の任務をはたすという仕事から、彼は英国海軍特務中尉に任ぜられたが、戦争終結時に中佐に昇進していたことは、彼の勤務がいかに上司を満足させていたかを計る尺度になるであろう。筆者が国防省の仕事のある面で彼と関係をもつことになったのはそのころで、戦後ボンド中佐からそのままこの省の仕事をつづけたいという請願書を受けたときは、筆者も大変うれしかった。彼は、この悲しむべき失踪の時には、国防省の一級公務員に昇進している。

国防省におけるボンド中佐の任務は、たまたま1954年に聖マイケル聖ジョージ勲爵士に列せられたことは明らかにされているが、現在も公表はできずに秘密にしておかなければならない。しかし、同省の同僚として、彼が目ざましい勇気と才能によって任務を遂行したことは発表してもよいであろう。もちろんときには、その気性の激しさから、上司と摩擦を起こすような無謀なところもなきにしもあらずであったが、彼は高度の危急に際しては“ネルソン魂”とでもいうべき根性を示したし、任務のおもむくところ数しれぬ冒険を何とかしてどうやら無事に切り抜けてきたのだった。そういう冒険のいくつかがとくに海外の新聞などにより世間の噂になることはやむをえないことで、彼をその意志に反して世間の人気者に仕立ててしまい、当然その結果として、ジェイムズ・ボンドの個人的な友人にしてもと同僚のある人物が彼を一連の通俗小説に書いている。もしこの本の性質や真相を伝える程度がもう少し高ければ、著者はまちがいなく国家公務員秘密保護法に問われることであろう。かかる小説が国防省でとりあげられ、しかも立派な国家公務員の経歴をかかる高唐無稽なロマン化された戯画にした著者や出版社に対して何らの手を打たないことは、とくにここでその本質を強調しておくが、国防省がそういうものを軽蔑している現れである。

この短い追悼文の結びとして、ボンド中佐の最後の任務は国家のために最大の重要さをもったことのひとつであると、同僚に認められていることをつけ加えるだけである。悲しいことに、彼はその任務から帰ってこないことがいま明らかになったが、筆者は国家上層部の許可のもとに、彼の任務は百パーセント達成されたことが証明されたと断言できる。このただひとりで果たした豪胆な努力の成果により、わが国土の安全が大いに保障されたとはっきり断言しても誇張ではない。

ジェイムズ・ボンドは、1962年にマルセイユのマルク−アンジュ・ドラコのひとり娘テレサと短い結婚をしている。この結婚が悲劇的状況におわったことは、当時の新聞に報道された。それ以外には筆者の知るかぎり、結婚したという証明は出されていないし、またジェイムズ・ボンドには生存している身よりはひとりもいない。



M・G(秘書のメアリー・グッドナイト)記 
わたくしはこの3年間、国防省で、ボンド中佐の身近につかえてきたことを、しあわせであり誇りとも思っております。もしわたくしたちの恐れが本当に当っているとしたら彼の墓碑銘に捧げたらどうかと思う短い言葉があります。ここの下僚たちは、この言葉が彼の人生観をひと言で示していると思っています。
「生命を伸ばすために無駄なときは使わない。自分のときは思う存分使うんだ」


ボンドは酒飲みじゃねぇ!
ボンドはフェティシズム的氷好きで、この奇癖はすさまじく。いかなる酒、あの有名なレピシのマティーニすらとにかく氷のように冷やして、つまり…味をわからなくしてから飲む。バーボンですらオン・ザ・ロックで氷の角が溶けるくらいグラスを揺らして飲む。この角の溶けた氷って「泣いた氷」って酒飲みには嫌われているそうですね。
「ワールド・イズ・ノット・イナフ」では生のままバーボンをあおるをよそに、氷こねくり回して尿素反応に気づいたボンド。ナニが幸いするかわかりません。

ボンドはビールも飲みますよ
小説では確か、レーベンブロイやミラーを飲んでいたはずです。小説のドクターノーではレッドストライプというビールが出てきます。コールドでは、レッドドッグというビールが登場します。ベンソンの小説ではサッポロの黒ラベルが出てきます。

ボンド・プレーン
ボンドプレーンというと1)リトルネリー2)スカラマンガを追跡した飛行艇3)アクロスターですが1)〜3)全て映画の為に制作されたモノではありません。
1)オートジャイロの改造機です。
2) マタドール・キャッシーニ・クーペ改造車はワンオフの個人所有物です。
3)「ビーディーマイクロ・ジェット/DB5-J」通称アクロスター。全幅:5.18m 全長:3.78m 前高:1.83m 自重:204kg燃料タンク容量:208.2gエンジン:マイクロターボTRS18(推力:92kg)最大速度:444km/hジョン・W・コーキー・フォノーフ氏制作及びスタントを演じています。当時世界最小のジェット機と言われ12万5,000ドル(当時3,000万円 )かけて制作されました。
1),3)は共に空軍に売り込む目的に制作されたようですが採用ませんでした。

翻訳一号
「LIVE AND LET DAI」ですが、その出版ですら、多くの翻訳家にたらいまわしされた揚句の、早川書房のるかそるかの大博打だったようです。昭和32年秋に翻訳第1号「死ぬのは奴らだ」刊行されます。都築道夫さんがかなり強引に井上一夫さんを口説いたそうです。

マイケル君を捜せ!
「ムーンレイカー」ラストのNASA管制塔の職員の一人に。
「ユア・アイズ・オンリー」では結婚式での会場にいる牧師さん役
「オクトパシー」ではソ連の会議室で。ボンド引き上げる、インドに来た観光客一団の中に。
「美しき獲物たち」は、馬の表彰の時にカップを渡してる方。
「リビングデイライツ」では劇場のソーンダイクの近くに。
「消されたライセンス」では結婚式、プールサイド近くに・・・。偵察機のシーンで「定規で線を引いている手」とHe's landing at Cray Cayで始まる「交信の声」。ラストのパーティで
「ゴールデンアイ」ではロシアの要人たちの会議室で
「トゥモロー・ネバーダイ」ではCMGMのテレビ会議で
「ワールド・イズ・ノット・イナフ」ではカジノで。
「ダイ・アナザー・デイ」は役名チャンドラー将軍で出演とのこと。

松岡きっこを捜せ!
007がリトルネリ−で大空に飛び立ち漁村の上空を回りながら、丹波哲郎と無線でやり取りします。その中で、一瞬(本当に)空を見上げる海女さん3人います。松岡きっこさんは3人写る海女さんの一番右の、額に手をあてている人です
「笑点」の昔の布団運び屋さん、松崎真さんもおりまして、神戸港の007を襲う作業員(スパナをもっています。)で登場しています。

マルティーヌ・ベズウィックは三度出る
「ロシアより愛をこめて」の格闘ジプシー、「サンダーボール作戦」での諜報部員のマルティーヌ・ベズウィック。実は彼女のボンド映画デビューは「ドクター・ノオ」のタイトルでの“踊る女性”。あと、クレジットで彼女の名前がMartine Beswick ではなくて"Martin Beswick"となって男にされてしまっています。

湖の中のアンテナ
「ゴールデンアイ」のラストに登場した巨大アンテナ施設はプエルトリコにあるアレシーボ国立天文学研究所でジョディ・フォスター主演の「コンタクト」にも登場します。この天文台アンテナは、金星に電波を送信して、反射して帰ってきたものを受信して距離などを測定する天文観測のために使われています。

ムーア・ボンドだけの特技?
ロジャー・ムーアのボンドに出来て、ほかのボンドには出来そうにない特技があります。それは「料理」です。「美しき獲物たち」のなかで、料理の腕をふるうボンドのすがたがあります。しかし「死ぬのは奴らだ」でのエスプレッソをつくる腕前を見てると、不安はありますが。

ムーンレイカーの版権
イアン・フレミングは昔から007の映画化に積極的で、あちこちから来たオファーを片っ端から受けて、原作の映画化権をバラ売りしていまして、俳優のジョン・ペインが1955年に「ムーンレイカー」の映画化交渉権を得ました。同じ頃、英国のランク・フィルムが映画化に興味を示し、ジョン・ペインと争って権利を獲得。が、ランクは一向に映画化する気配がなく、業を煮やしたフレミングは翌年に映画化権を買い戻したそうです。ですから、イオン・プロは最初から「ムーンレイカー」の権利を持っていまして、最初の予定では「女王陛下の007」の次に映画化しようと企画していた説と、ジョンペインが版権を持ち続けて、SFブームに便乗してイオンが版権を買い取ったという説があります。

メアリー・グッドナイトは二人いる?
黒髪黒い眼のグッドナイトは「所有者はある女性」「サンダーボール作戦」「女王陛下のOO7」「OO7は二度死ぬ」に出ており、OO課では、OO7とOO6のどっちが先に彼女おとすかの賭けの対象になっていました。
金髪碧眼のグッドナイトは「黄金の銃をもつ男」にでております。転属願いをだしてカリブ支局長に異動になっていました。

安上がり! なりきりボンド
金筋三本煙草です。モーランド商会は現在、存在しませんが本物ではなく、国内で入手可能な通常の煙草を代用します。現在、キャビン・プレステージ、ラークDXマイルド、マルボロ・ライトの3種を気分に合わせて換装します。


ラジャーのエメラルド
クリスティの短編。ジェイムズ・ボンドさんが出てくる。エメラル盗難の濡れ衣を着せられ恋人にも振られたボンドさんが事件を解決し、高慢ちきな恋人に一泡吹かせるお話。


リマスター版サンウド・トラック・使用順インデックス
2002年からリリースされたオルタネイティブ音源も収録のサントラ
当時サントラ用に別録音されたものが今までのサントラ盤で、映画のサウンドトラックは編集済みフィルムを見ながら音付けされたもので、これらはもともとのその音源を使って発売されたCDであった。

「死ぬのは奴らだ」
15, 1, 16, 4, 14, 3, 6, 7, 5, 18, 9, 19, 10, 20, 2, 8, 11, 12, 21, 13, 22, 17

「ダイヤモンドは永遠に」
13 1 14 6 9 15 16 17 18 19 4 20 3 5 8 2 11 10 12 7 21

女王陛下の007の映画使用順番号ゲット。
2,6,3,12,13,14,7,15,16,17,18,19,20,5,4,9,10,21,11(1)
最期に(1)をいれるとワーナ・ビデオ版

「サンダーボール作戦」
13,2,1,3,4,5,6,9,10,14,15,8,16,17(未使用テイク:7,11,12,18)

「007は二度死ぬ」フィルム使用曲順
13,2,1,14,4,5,3,15,16,17,6,8,7,18,9,10,11,19,12(未使用曲含)

「ゴールドフィンガー」
1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14.15.

リュックベッソン
当初乗り気でなかったエリック・セラをゴーインに説き伏せて「ゴールデンアイ」の音楽を担当させたのが、リュックベッソンです
彼はボンド好きでも有名ですが、それよりもなによりも、「ムーンレイカー」でのフランスロケでの現地スタッフとして参加しており、
「リビングデイライツ」で助監督をしていますということです。

ロワイヤル・レゾーはどこだ!?
「女王陛下のOO7」冒頭でトレーシーと会う9月のロワイアルレゾー、地図で言えばドーバー海峡南の近くのディエップの北、北緯50度。しかし、残念ながらロワイヤルレゾーは実在しません。イアン・フレミングがディエップ、ル・トゥケなどをヒントに創作した架空の町だそうです。

ワインの男の正体は?
イタリア・ロケ時のアシタント・ディレクター、ヴィクター・トルージャンスキーさん

ワールド・イズ・ノット・イナフ公開記念イベント
六本木コロシアムGFジョイント・イベントを企画した電通のご担当さまよりご連絡をいただきました。従来に無い形のプロモ活動の一環として、ボンド離れの多い世代が集まるGFさんとジョイントだそうです。GF(ゴールドフィンガー)さん自体がCOOLな女性=ボンドガールというコンセプトで活動しているので今回の広報にはうってつけだと判断したそうです。で、この企画自体がオフィシャルから限りなく遠い存在であるということと、クラブイベントであるため、あらぬ誤解を受けやすいため、リポート・報告は一切オフにしていたそうです。ま。ともあれビアンの女の子達が無邪気にゲームやダンスに騒いでいたと・・・ご担当さま曰くでした。文面より電通のご担当様、かなり今回のイベントには気にかけている様子なもので、ちょっと悪戯に煽ってしまったかなと、反省しております。Sorry.



kl