「あん畜生はもう行っちまった」

英国情報部公認ジェイムズ・ボンド正伝

はじめに
出版社が変わるたびに「ジェームズ・ボンド」(立風)「ジェイムズ・ボンド伝」(早川)とタイトルの変更がありますが、内容は同じです。
この物語の面白いところは、ルポ・ライターのジョン・ピアーソンが、フレミングの小説の主人公、ジェイムズ・ボンドにインタビューをするというスタイルを取っていることです。ピアーソンはサンデータイムス時代フレミングの助手をしていた方で、フレミングの伝記である「女王陛下の騎士」を書いた方です。

ストーリィ
ピアーソンのもとにフレミングの友人であるマリア・キャンツラーから紫のインクで書かれた手紙が届く。戦前、フレミングの紹介で若きころのジェイムズ・ボンドに会ったという。それをきっかけにピアーソンのボンド捜索が始まる。国家公務員保護法を楯にした、英国情報部員アークハート、ポプキンスとの対決(笑)の末、バハマでの会見にこぎつける。
小説のジェイムズ・ボンド誕生のいきさつはこうだった。
極秘であるべき情報部内の事件を逆に公にして、スメルシュに命を狙われ始めたボンドにかかわる事件を明らかにすることによって、ボンドを架空の人物に仕立て、情報部及びボンドの命を守ろうというものだった。
それにより執筆者に選ばれたのは、元情報部員の新聞記者イァン・フレミングで、それは小説という形で公開された。
事実CIAのアレン・ダレスは「ロシアから愛をこめて」のスメルシュの描写の正確さに舌を巻き、ケネディの書斎に置くことで、暗に警告というPRにも利用できたという。
とにかくボンドは無事、情報部もその優秀性を敵勢力に知らしめることが出来たのである。
しかし! ここにいるボンドは小説のボンドを憎悪している。あまりにも下品、残酷、低俗に自分が描写されていると・・・

今日のゴースト・ライター
ヴィヴィアンヌ・マイケル
モーテルの主人。フレミングが心臓の加療により小説が書けなくなった時期がある。しかしMは小説を継続するよう命令したため、アークハートがボンドの報告書からカナダのトロントの事件を見つけだし、当事者から事情を聞きだすことに成功する。しかしこのヴィヴィアンヌ、野心と文才があったため、自分で小説に書上げてしまったというのだ。

本日の妻
ハニーチャイル
鼻の整形もすみ、ボンドと一緒に暮らしている。しかしあのイルマ・ブントがオーストラリアで穀物を食いつぶすネズミを大量生産しているという。ボンドは詳報部に復帰、インタビューを中座して出て行く・・・新妻、いと哀れ。

本日の特異点
ピアース氏が会見で知りえたという、小説のボンドとの主だった相違点。
生年月日1920.11.11

イートン校退学の原因はボンドが友人の家の女中と間違いを犯したことになっているが、本当は一歳上の、プリントンという友人の腹違いの姉だという。
ボンドが進学したのは、ケンブリッジでもオックスフォードでなく、ジュネーブ大学である。
ボンドは1955年に中国から脱出したOO2を救出するためにマカオ国境に派遣されている(フレミングの記事ではこの当時のOO要員はOO9、OO11しかいないことになっている)
ワシントンに連絡要員として駐在しているとき、ホワイトハウス高官の奥さんとあやまちを犯して情報部を解雇、保険会社に一時期勤めている。
1954年ボンドの手に刻印をしたスメルッシュのオボーリンが、ボンド暗殺の命令を受け、亡命するボトキン大佐に変装して遂行する。
ボンドが失敗したハンガリー人救出作戦は、ハンガリーに情報網を築こうとしたOO9の救出だった。


kl