2006年以降 映画シリーズ・オフィシャル

「ヴァレンスのボンドに関する報告書」
ジェイムズ・ボンド中佐 MI6のsenior Operation Officer
出生 ドイツ、西ベルリン 
1968年4月13日生まれ
父 アンドリュー・ボンド ヴィッカーズ上級アカウント・マネージャー
母 モニク・ドラクロワ・ボンド
両親ともペルセヴェランス北東尾根登山中の事故により死去。

11歳までヴィカーズ社の管理職として駐在していたスイスとドイツで教育を受けた。両親死後、叔母のケント洲ペットボトムのミス・
シャーマイン・ボンドの元で教育をうけた。
12-13歳 度重なる門限違反と
メイドの一人との「トラブル」でイートン校を放校。
13-17歳 フェステ校時代、ライト級ボクシングの代表に。公立校初の学校間柔道リーグを組織。
17-31歳英国海軍

クライミング、ダイビング、水泳に熱心で走ることも得意。フェステ校休暇中オーストリアの現地インストラクターハンス・ベルハウザーの元で登山とスキーを学んだ。高価な車を高速で運転することを好む。ヨーロッパの数多くのカジノでギャンブル経験があるが、破産するほどのめりこんでない。酒を飲むが飲みすぎることはない。

グリフィン提督による軍歴レポート」
入隊するとすべての分野で傑出しててすぐに頭角をあらわす。BRNCより学位取得資格を得る。体育競技、戦略作戦、対諜報コースで優れたが、特定の上官に対する態度、門限を守らない点が原点の対象になった。同僚がボンドを守るために嘘をついている疑われることがあった。
先任伍長、准尉から推薦で海上任務に。海軍情報局への移動を希望する。
最初の任務
クランビー作戦の前、HMSエクセターに情報官として乗船、後にHMSタービュレントの潜水任務に異動。特殊船艇艦部隊に志願。
特殊部隊時代
UAW/水上水中戦訓練で優れた成績を収める。プリスマでの夜間機雷設置訓練で発見を逃れることに成功した唯一の候補生として栄誉を受けた。水中赤外線とソナーをすり抜ける独特な方法を実演しそれは訓練に組み込まれることになった。UAW訓練後、上級パラシュート部隊訓練参加。訓練中パラシュートが開かなくなった同僚を空中でとらえパラシュートを開かせたという神業を成し遂げる。USB部隊のカヌー乗り部隊のスイマーでなく特殊部隊に配属が決まる。
030特殊部隊時代
攻撃ヘリ、ハリアー、ホバークラフト、攻撃艇などなど操縦資格を得る。
候補生訓練、競技会の組織、創造的な環境の創出に優れた才能を発揮、任期の三年間で少佐に昇進。イラク、ソマリア、イラン、リビアでの秘密作戦に参加。ボスニアでは実戦に参加した。ボスニアでの任務中、村民100名ちかくをセルビア民兵から救い、防衛情報部RNRに採用され中佐に昇進する。

防衛諜報部RNR
lリビア、イラク、イラン、アフガニスタン、キプロス、インドネシア、返還時の香港、北朝鮮で貴重な情報をもたらすが、命令系統、プロトコルを軽視した傾向がみられたようである。
リビアでは、リビア政府のテロ組織との金銭的つながりについて調査、パンナム103事件の解決に関連する情報を提供した。イラクではUSSCOMの調査活動に対するイラクの妨害工作の監視を成功させた。アフガニスタンではタリバンによって監禁された研究者の救出、キプロスではS-300ミサイルに関する平和的解決をもたらし、キプロス共和国の自信を崩す作戦を支援した。
ボンドは
ケンブリッジ、オックスフォードの専門講座を受講しケンブリッジでは東洋言語学で最優秀賞取得、MI6により抜擢されRNRを離れた。

MI6時代
忍耐テスト、ポリグラフ・テストを高得点でクリア、72時間覚醒後の射撃訓練でも8.50以上のスコアをだす。イタリア語、フランス語、ドイツ語はOK、ギリシャ、スペイン、北京、広東、日本語の読み書きは可。非英国連邦市民として通すにはあまりにも英国人過ぎる。特定の状況においては尊大、自信を持ちすぎる傾向にある。明らかに危険を好み、成功の可能性を計算することを楽しみ、失敗すれすれところで勝負したがる。



kl